2016.01.29 眠り犬

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



『もう1匹はどうしたの?』




『まだ寝てるんですよぉ。』





何度そんなやり取りをしただろう・・・・・・。





0129-1 2016





クッシング症候群の影響で

どんどん脚が弱くなってしまった豆太郎が

いつもの朝の散歩コースを歩けなくなったのは

去年の冬の終わりだった。



住宅街をぬけて田んぼ道に入ると

カモが川に浮かんでたり

ときどき青サギに会えたりするのどかな農道を

豆太郎とそら豆と私の、ひとりと2頭で

ゆっくり1時間ほどかけて歩くのが

朝のお決まりのコースだったけれど

弱ってしまった豆太郎の脚は

もうそんなに長く歩けなくなった。




だから朝の散歩はまず、

息子のそら豆がいつもの散歩コースを歩いて

そのあと豆太郎を近所に連れだす。

2頭が別々に散歩をするようになった。


先に出かけるそら豆を

豆太郎はいつもベッドの中から見送っていた。

ときには

布団の隙間から眠そうな目を開いて

ときには

イビキのBGMを奏でながら。


そして、そら豆が戻って来ても

私が起こしに行くまでたいてい

ベッドのなかでまどろんでいた。





0129-2 2016





私とそら豆だけで歩くようになると

名前もしらない人からたくさん声をかけられるようになった。


同じようにワンコを連れて散歩している人や

ウォーキング中のおじさん。

自転車のおじいさんや、朝のバスを待つ人・・・・。

以前から挨拶をしたりして顔見知りの人もいたけれど

ちっとも知らない通りすがりの人もたくさんいた。


みんな揃って同じ言葉をかけてきた。




『もう1匹はどうしたの?』





正直驚いた。

2頭のパグ犬とひとりのオバサン。

なんの目立つこともないような毎朝の姿を

意外とみんなが見ていたことに

案外とたくさんの人々の記憶に残っていたことに

正直びっくりした。


そして、


もう1頭いるはずの犬が欠けていることに気づいて

ある人は心配そうに

ある人は興味津々に

ある人は挨拶のついでに

『もう1匹はどうしたの?』と問いかけてきたのだ。



私はそのたびに

『まだ寝てるんですよぉ・・・・』

と苦笑いしながら応えた。



するとみんな一様に顔をゆるませて

笑ったり、呆れたりしながら、通り過ぎて行った。





0129-3 2016





豆太郎の姿が

いつもの散歩コースから消えて

そろそろ1年たつというのに

いまだにときどき声がかかる。




『もう1匹はどうしたの?』




朝の散歩で出会う人たちは

ほとんどがお年寄りだから仕方ないのかもしれない。

前にも同じことを聞いたのに忘れてしまったのかもしれない。




『もう1匹はどうしたの?』




今朝も・・・・・・。そうだった。





豆太郎の姿が

いつもの散歩コースから消えて

そろそろ1年たつというのに。



豆太郎はもう

この世にいないというのに。





けれど、私は応える。



『まだ寝てるんですよ・・・・・。』 と。





豆太郎とそら豆と私。

私たちは

2頭とひとりで歩く姿のまま

みんなの記憶に残ってればいい。




そうすれば




誰かが尋ねてくれるうちは

豆太郎は

家で眠り続ける子のまま

寝坊助なワンコのまま

ずっとずっと生きていられるから。



名前もしらない人たちだもの。

私が小さなウソをつたところで

誰も悲しまないし

誰も傷つけないだろうから。









にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村




☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆
スポンサーサイト

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



【犬のクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)】
脳下垂体の過形成や腫瘍、副腎皮質にできた腫瘍によって、
コルチゾールと呼ばれる副腎皮質ホルモンが過剰に分泌
される病気。ステロイド薬が原因の医原性もある。
主な症状として、水をたくさん飲む、おしっこの量が増える、
たくさん食べるのにやせていく、全体的に毛がうすくなる、
左右対称に毛が抜ける、お腹が膨れるなどの症状がある。




2013年の3月、甲状腺ホルモンと

クッシングクッシング症候群の検査で

異常ナシと診断された豆太郎は

検査の過程で見つかった胆泥症と

夏にできた原因不明の皮膚疾患を持ち越して

2014年を迎えた。


相変わらず薄毛で、シッポの付け根や

足の内側の毛がとくに薄かった。

少しずつ足が弱ってきているのも気になった。

豆太郎、12歳の冬だった。




あれは、寒さが厳しくなりはじめた

1月終わり頃だったろうか。

やけに抜け毛が多くなった。

洋服の脱ぎ着をすればハラハラと、

ブルブルッと体を振れば

破れた羽根布団からダウンが舞い散るように、

ブラッシングすれば

縫いぐるみが作れそうなほど

たくさんの毛が抜けるようになった。


抜け毛はどんどんひどくなり

ふた月もしないうちに地肌が透けて見えるほど

激しく毛を失った。



そして抜け毛がはじまった頃から

よく水を飲むようにもなった。

豆太郎は昔から真水が嫌いな子で

スープや牛乳など味のある水分は大好きだけど

ボウルに常備してある水には

たとえ夏の散歩の後でも見向きもしなかった。


暖房の効いた部屋にいるからかな?くらいに思って

最初はむしろ歓迎した。

あんなに水を飲まない子がちゃんと水分補給するのが

嬉しくもあった。



けれど、最初はペロペロだった飲水が

次第にガブガブと激しくなった。

1日1リットル近く飲む日もあっただろうか。

筋金入りの食いしん坊で食い意地もひと一倍の豆太郎が

ゴハンの途中、まだ中身が残っているにも関わらず

フードボウルから離れて水を飲みにいく姿には

心底驚かされた。



たくさん水を飲むから、オシッコもいっぱい出た。

大きな水たまりで足裏がビショビショになるのも構わず

1日何度も大量のオシッコをした。




明らかに異常だった。


明らかにクッシング症候群の症状を示していた。





0126-1 2016
2014年5月の豆太郎。首の炎症が痛々しいのでをバンダナでかくしていた。





2014年3月。

ちょうど1年前に異常ナシといわれた

甲状腺ホルモンとクッシング症候群の検査を

もう1度お願いしに動物病院を訪れたが

検査結果はまたしても異常ナシだった。



信じられなかった。

多飲・多尿、脱毛、筋力低下・・・・・・。

心なしかお腹もポッコリ膨らんでいた。

クッシングの手駒はこんなに揃っているのに

ちっとも大手が取れないのが歯がゆかった。



そして4月。

昨年の夏にできた首のオデキが再発したのをきっかけに

いつも通っている動物病院に半ば強引にお願いして

岐阜の大学病院を紹介してもらった。

腫瘍科や内分泌を専門にする獣医師に

どうしても1度ちゃんと診てもらいたかった。


『皮膚の石灰沈着でしょう。』

豆太郎のオデキをひと目診るなり先生はいった。

果たして細胞の検査もその通りの結果がでた。


エコー検査も受けた。

素人の私には訳の分からない白黒画像を指しながら

先生がいった。

『副腎のここにね、小さな腫瘍があります』と。

そして、

副腎の片方は肥大しもう片方は委縮していること、

豆太郎の脱毛や皮膚に石灰沈着を起こす症状から

副腎腫瘍が原因のクッシング症候群が疑われること、

ただし

腫瘍はリスクが大きすぎて手術はできないこと

腫瘍があるかぎりクッシングは完治できないので

生涯を通じて投薬治療が必要なこと

最終的な診断にはまだ何度かホルモン検査が必要なこと

などなど・・・・。

1年も前からある程度予想していた話だったから

私はすんなりと受け入れた。




その後ACTH刺激検査、

低用量デキサメタゾン抑制試験、

高用量デキサメタゾン抑制試験を経て

豆太郎に「副腎腫瘍性クッシング症候群」の診断が下ったのは

2014年5月27日だった。

今後はかかりつけの病院で

お薬でコントロールしていきましょうといわれた。




嬉しかった。

病気を告げられて喜ぶなんて不謹慎だけど

1年以上も前から疑い、否定され、危惧し続けていた

豆太郎の体調不良の原因が

ようやく分かり、やっと治療ができると思うと

本当に嬉しかった。

これで多飲多尿も脱毛もせんぶ良くなって

豆太郎は元通りの元気な姿を取り戻せると

心から安心した。





0126-2 2016
2014年7月。お薬の効果がまだ出ておらず首の脱毛が目立つ。




6月4日からトリロスタンの投薬がスタートした。

1カプセル10㎎入りのお薬を、朝晩半分ずつ

1回5㎎の量をゴハンに混ぜた。

豆太郎は口に入るものなら何でも喜んで食べる子なので

投薬は簡単だった。




トリロスタンの効果は劇的だった。

投薬をはじめてひと月半くらいで

ポソポソとひ弱な毛が生えはじめ、

3か月もすると全身フッサフサになった。

皮膚の石灰沈着の痕は消えることはなかったけれど

炎症は完全に鎮火した。


飲水量の改善はもっと早かった。

豆太郎にクッシング症候群の診断が下った翌日から

私はノートに1日の飲水量と食事内容を

記録するようにしていたのだけれど、

1日600~900mlもあった飲水が

投薬5日目には230 mlに減っていた。



毎月1回、血液検査をして

3か月に1度、ACTH刺激検査でお薬が

ちゃんとホルモンを抑制しているかの検査を受けた。

結果はどれも良好だった。




すべて順調と思われていた豆太郎の回復に

少し不安を持ちはじめたのは秋ごろだったろうか。


お薬によって確かに皮膚症状は改善した。

被毛はフッサフサだし、石灰沈着の炎症もおさまった。

けれど、

新しく生えそろった毛は恐ろしいほどよく抜けた。

ブラッシングすると

お好み焼き1枚分くらいの毛束ができた。

でもフサフサのまま毛は薄くならない。

抜けては生え、また抜けて生えてくる。

その異常なサイクルに疑問を持った。



それに脚。

クッシング症候群と診断される少し前から

歩くペースが遅くなり

とくに後脚の衰えが気になっていたのだけれど

投薬治療で筋力低下も改善されると期待していたのが

まったく改善されるどころか、

むしろどんどん悪くなって

歩くのを嫌がるようになった。

ちょっとした段差が苦手になったり

散歩中につまづいたりもした。

いつも男らしく片足を上げていた豆太郎なのに

女の子座りをして用を足すことが多くなった。





0126-3 2016
2014年10月。すっかり毛が生えそろいフサフサに。





私は何を勘違いしていたのだろう。

病気の診断が下り、投薬治療を開始さえすれば

もう安心だと思っていた。


私は何て浅はかだったのだろう。

薬でコントロールすれば症状が改善するということは

コントロールできなければ悪化するということなのに。


検査上の数値は安定していた。

けれどもそれはあくまで、数字がもたらす安定。

平均値から割り出される目安的な数値であって

豆太郎の適正値ではなかったのかもしれないのに。


でも

このときの私はまだ希望も持っていた。

もう少ししたらきっと、お薬の効果があらわれて

筋力の低下にも歯止めがかかるだろうと。



だから少しでも筋力を維持しておきたくて

豆太郎の散歩のコースは決して短くしなかった。

時間はかかってもお決まりのコースを

そら豆も一緒に、ひとりと2頭で歩き続けた。





0126-4 2015
2014年秋。脚は弱くなったけれどドッグランでまだ歩いたりしていた。





あれは秋のはじめ頃だったか。

ひどい雷が鳴った翌朝のことだった。

散歩の帰り道、白い中型のワンコがひとりで

トコトコ歩いているのを見つけた。

車道を勝手気ままに楽しそうに歩いていた。

近づいても逃げなかったのでよく見ると

いつも飼い主さんをグイグイ引っ張りながら

散歩している見慣れた子だった。


たぶん昨夜の雷に驚いて逃げ出したのだろう。

首輪もリードもつけず裸一貫のさっぱりした姿だった。

すごく困った。

だけどそのまま放っておく訳にもいかないので

私は豆太郎にお願いすることにした。


この子をおうちに帰してあげたいこと。

でもこの子は裸ん坊のままだと危ないから

豆太郎の首輪とリードを貸してあげてほしいこと。

今度は豆太郎が裸ん坊になるけれど

どうか私の横を離れないで歩いてほしいこと。


豆太郎の目を見て、ゆっくりハッキリ話した。

豆太郎は私の目をしっかりと見返して

話を聞いていた。




この日の豆太郎は素晴らしかった。

ノーリードになるとピッタリと私の横につき

弱っている脚をものともせず、

中型犬のペースに合わせて歩き続けた。

途中、誰かが盛大に濡らした電柱があったのに

目もくれずに。



豆太郎は賢い子だった。

私の言葉をよく理解し物覚えも早かった。

5回教えればたいてい何でもこなした。

もちろん親バカなのは十分承知のうえだけれど

世界でたったひとりの我が子を

手放しで褒める犬バカがいても

バチはあたらないだろう。

豆太郎は賢くて頼りになる

私のかけがえのない相棒だった。



けれど・・・・・・・。



そんな頼もしい豆太郎の姿が見れたのは

2014年の秋が最後になった。



冬になり2015年を迎えると豆太郎は

急速に衰えはじめ、そして壊れていったから。




あの日。

病名を告げられて喜んだ私はバカだった。

治療できると安堵した私は本当に愚かだった。

安心なんてどこにもなかったのに。

投薬治療のスタートこそ、

細心の注意をはらい

経過をつぶさに観察できるかどうかの

ターニングポイントだったのに。








にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村







このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



【犬のクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)】
脳下垂体の過形成や腫瘍、副腎皮質にできた腫瘍によって、
コルチゾールと呼ばれる副腎皮質ホルモンが過剰に分泌
される病気。ステロイド薬が原因の医原性もある。
主な症状として、水をたくさん飲む、おしっこの量が増える、
たくさん食べるのにやせていく、全体的に毛がうすくなる、
左右対称に毛が抜ける、お腹が膨れるなどの症状がある。






豆太郎の体をむしばみ

命を奪っていったクッシング症候群。

病気の進行は、はじめはとてもゆるやかで

そしてある時期から急激に加速した。



いろんな本やネットのサイトで

犬のクッシング症候群の主な症状が挙げられている。

食欲亢進、多飲多尿、左右対称の脱毛、無気力などなど。

けれども、これらの症状は生活習慣やその子の性格

その他いろんな要因と絡まって案外分かりづらい。


たとえば食欲亢進といわれても、元々食いしん坊の子は

いつだって賑やかにクレクレ攻撃をする。

無気力といわれても、おっとりした性格の子や高齢犬は

元々のんびり暮らしているだろう。


豆太郎がそうだった。

だからこの病気が見過ごされがちといわれるのが

今なら本当によく分かる。

今となっては、

ダメな飼い主のいい訳にしかならないけれど・・・・・・。






0123-1 2016
2013年4月の豆太郎。胆泥症の治療中だった。





私は2012年の夏に豆太郎の小さな異変に気づいた。

トリミングした毛があまり伸びずパサパサになってきた。

そして2013年。

1月ごろになると胸の毛が少し薄くなった。

はじめは洋服の首回りが擦れて毛を痛めたのかと思った。

寒い冬で夜眠るときもパジャマを着ていたから

そのせいだと考えた。

極力、服を着せないようにしたけれど

それでも胸の薄毛は一向に回復しなかった。

右前足の外側に小さなハゲができたのも気になった。



心配性の私はその頃から本やネットで

アレコレ豆太郎の症状と照らし合わせて

ホルモン系の病気を疑うようになっていた。

クッシング症候群という病気を知ったのもこの時期だ。

ただ、この頃の症状は毛ヅヤと薄毛、足のハゲのみで

クッシングによくある多飲多尿や

左右対称の脱毛はなかった。

なので最初は甲状腺ホルモンの異常を疑った。

甲状腺ホルモンは低下すると

脱毛や皮膚が黒ずむという。



3月19日に甲状腺ホルモンの検査を受けた。

けれど1週間後に出た検査結果に異常はなかった。

納得できなかった。

だったら豆太郎の薄毛はなんでだろう?

季節的なものやちょっとした代謝異常かもしれないと

先生は様子を見ることを勧めてくれたけれど

私の心配は消えなかった。



だから3月29日に今度はクッシング症候群の検査

ACTH刺激検査をお願いした。

同時にエコー検査も受けた。

クッシング症候群は副腎ホルモンの過剰生成が原因なので

副腎の肥大や委縮チェックのためだった。

副腎のサイズに異常は見られなかった代わりに

胆のうに胆汁がたまる胆泥症が見つかった。

けれど副腎の腫瘍は見逃された。

あるいは小さすぎて見えなかったのかもしれないけれど・・・・・。

のちに診断された豆太郎のクッシング症候群は

副腎にできた腫瘍が原因だったのに。



1週間後に出たクッシング症候群の検査結果にも

異常はなかった。

私の心配はまたもや否定されたけれど

ホルモンの病気ではないことが分かって

ようやく安心できた。

そして次にすべきは胆泥症の治療だった。

お薬を飲み、定期的にエコー検査を受け

胆泥症が改善したのはその年の12月だった。




首に治らない炎症ができたのも同じ年。

2013年の夏だった。

最初は赤っぽく何かにかぶれたような炎症が

次第に黒っぽいカサブタ状のオデキになって広がった。


胆泥症の治療がはじまってから

ひと月に1度のペースで病院に通っていたから

スグに先生に相談し、生検をしてもらった。

幸い悪性の腫瘍ではなかったけれど

それが何かは分からなかった。

炎症を抑える薬で症状は落ち着いたけれど

完全に消えることはなかった。


オデキの正体が分かったのは半年後。

2014年の春に再発したのをきっかけに

大学病院の腫瘍科を受診したときだった。

ひと目見て先生がいった。

『皮膚の石灰沈着でしょう。』




その他にも、

脚の内側の毛が薄くなったり

フサフサだったお尻まわりや

シッポの付け根の毛が薄くなってきたのも

この年のことだった。





0123-2 2016
2013年5月の豆太郎。前足の外側に丸いハゲができた。





薄毛、胆泥症、皮膚の石灰沈着。



あとから考えればこれらの症状は

どれもクッシング症候群にベクトルを向けていた。

聞きなれない胆泥症や石灰沈着も

のちに病気に関するサイトやブログをいろいろ調べたら

引っ掛かったワードだった。

けれども

病気を示唆するそれらの症状は

何かがおかしいと思っているうちはまるで

バラバラになったパズルのピースのようで

クッシング症候群という絵は

なかなか姿を現さなかった。

ましてやホルモン検査で異常ナシと

判を押されればなおさらだ。

きっとそれは、総合医として日々いろんな病気や

ケガの子たちに接する

かかりつけの先生も同じだったと思う。




もっと早く、専門医に診せていれば・・・・・・。

もっとしつこく、クッシングにこだわっていれば・・・・・。


豆太郎をもう少し楽に

してあげられたかもしれなかったのに。





0123-3 0216
2013年7月の豆太郎。養老の滝に出かけた。





クッシング症候群の検査は血液検査だ。

病気の判定も投薬治療がはじまってからも

お薬の効きを検査するための採血が必要だから

ずっと注射針がつきまとう。


豆太郎は注射を怖がらない子だった。

だから何度も何度も繰り返される血液検査にも

いつもじっと我慢していた。

けれども晩年はもう、

血管が脆く細くなっていたのだろう。

針を何度刺しても

なかなか採血できないことが多くなった。


あんなに我慢強かった豆太郎が

痛みに耐え切れず

ヒャンと弱々しく鳴くようになった。

それでもようやく採血を終え先生にほめられると

小さくシッポを振って応えていた。

私に目線を送って得意そうな顔をしていた。

豆太郎は我慢強く、最期まで頑張る子だった。





0123-4 2016
2013年10月の豆太郎。長野へお誕生日旅行へ出かけたとき。




豆太郎にクッシング症候群の診断が下ってから

病気の症状や治療法を参考にしたくて

同じ病気で闘う子のブログを探すようになった。


だから今度は私が発信する番だ。


大切な我が子の体が発する小さなサインに

不安を抱え心配を募らせる飼い主さんに

豆太郎の症例がほんの少しでも役に立てたら

こんなに嬉しいことはない。


私がなかなか合わせられなかったパズルのピースを

バラバラのピースをどうか1日でも早く

つなぎ合わせて病気の治療をはじめてもらいたい。




私の豆太郎はもう、いないから。

これくらいしかもう、できないから。







にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村




☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



【犬のクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)】
脳下垂体の過形成や腫瘍、副腎皮質にできた腫瘍によって、
コルチゾールと呼ばれる副腎皮質ホルモンが過剰に分泌
される病気。ステロイド薬が原因の医原性もある。
主な症状として、水をたくさん飲む、おしっこの量が増える、
たくさん食べるのにやせていく、全体的に毛がうすくなる、
左右対称に毛が抜ける、お腹が膨れるなどの症状がある。







豆太郎はクッシング症候群の持病を抱えながら

14歳と28日目の朝に突然逝った。



突然亡くなってしまった直接的な原因は分からない。

けれどもクッシング症候群が何らかの発作を

誘発したことは確かだ。



豆太郎を死に急がせたクッシング症候群。

なのに、この診断が下るまで

2年近くも時間を費やしてしまったのが

今でも悔やまれる。



病院を恨んでいるわけではない。

豆太郎が罹ったのは

副腎腫瘍が原因のクッシング症候群で

このタイプは普通のホルモン検査では

反応が出ないことがあるのを後に知った。




だけど、思わずにはいられない。




もっと早くに治療を開始していれば

豆太郎はもっともっと生きれただろうか?

病気の進行を遅らせることができただろうか?

今日も私の腕の中にいただろうか?





0121-1 2016





豆太郎がクッシング症候群と診断されたのは

2014年5月の終わりのことだった。

翌月6月4日からトリロスタンという

副腎皮質ホルモンを抑制する薬を飲み始め

亡くなる前日まで

1年4カ月の間、投薬治療を続けていた。

そして・・・・・・

2015年11月11日の朝、逝ってしまった。




けれども私は、

2014年の春にクッシング症候群と診断される

ずいぶん前からこの病気を疑っていた。

ことワンコに関しては心配性の私は

実際、病名が下るまでの間に

何度かホルモン検査をお願いしていた。



でも結果は毎回ネガティブ。

私の危惧は否定され続けた・・・・・・。




0121-2 2016





最初におかしいと感じたのは2012年の夏だった。

夏前にサマーカットした被毛があまり伸びないのを

不審に思った。

そして秋、豆太郎が11歳の誕生日を迎えたころには

毛がパサパサしはじめてツヤもなくなってきた。



でもそれ以外の体調変化はまったくなくて

豆太郎はいたって元気だった。



相変わらずオモチャが大好きで

常夏の島で生まれたクセに

水は飲むのも濡れるのも嫌いだった。

夏には庭のトマトを食べ荒らし

秋はイチヂクを食べすぎて太った。

10月の誕生日には大好きなお友達と旅行に出かけ

高原のドッグランを走っていた。

冬がはじまると、そら豆を枕にして日向ぼっこしていた。





0121-3 2016




当時の豆太郎の写真を何度も見返してみた。

豆太郎は笑っていた。

おっきい目をキラキラさせていた。

受け口で歯をむき出してヘンな顔をしていた。

口のタプタプを膨らませてムスーとしていた。




0121-4 2016




だけど・・・・・・。



このとき病気も確実にはじまっていたのだ。

タイムリミットまでの時限爆弾は

静かにセットされていた。



私は、検査の数値よりもうんと正しく

病気の兆候を読みとっていたというのに

爆弾の時計を止めることができなかった・・・・・・。






にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村




☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆
2016.01.18 死にぞこない

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



12月に退職したAちゃんが訪ねてきてくれた。

私は小さな店をやっていて

Aちゃんとは2年ほど一緒に働いた。

閉店準備をしていた私に、彼女は2つの用件を持ってきた。



ひとつは結婚が決まった報告。

お正月にプロポーズされ、来月入籍するというおめでたい話。



そしてもうひとつは



『追いかけて逝っても、会えませんよ』

と、私をたしなめにやって来た。



彼女には豆太郎が亡くなったことをいってなかたけれど

同僚から聞いていたようだ。

そしてAちゃんは、自分の話をしてくれた。



7年前、Aちゃんは22歳のときにガンで母親を亡くした。

病気の進行は早くお母さんはどんどん悪くなっていったそうだ。

けれど、まだ若かった彼女は

危篤の連絡をうけて病院にかけつけた時でさえ

売店でのん気にパンを食べ、待合で化粧をしていた。

お母さんを失くしてしまうかもしれないことが

ピンとこなかったから。

お通夜やお葬式も慌ただしいうちに終わってしまった。



そして、しばらくしてからようやく

喪ってしまった重大さや何もしてあげられなかった後悔

もう会えない現実に気づいたという。


それから地獄の悲しみと苦しみがやってきた。


いろんな思いや後悔で心も体もいっぱいになり

外に出れなくなった。

どんどん痩せて生理も止まり、一時は声も失った。

お母さんに会いたくて、お母さんの所へ行きたくて

ひとり部屋にこもり

自分で自分の首を絞め続けていたという。

けれども逝けなかった。

自分が母親の後を追えば、今度は父親や祖父母そして弟妹が

今の自分と同じ苦しみを味わうかもしれないと考えると

逝ききれなかったとういう。




『だから自分は死にぞこないだと思って

ずっと生きてきました。』




0118-1 2016




私も死にぞこないだった。


豆太郎をひとりで逝かせてしまった朝

私はずっと考えていた。

早く追いかけなくちゃ、今ならまだ追いつける

豆太郎の魂が亡骸の近くにある今ならまだ

一緒に逝けると焦っていた。



けれども一方で、お葬式の手配や自分の仕事

そして何より、

豆太郎が遺してくれた息子のそら豆を

ひとりぼっちにしてしまうという現実があった。


だから豆太郎の亡骸をみつめながら葬儀社を探して

お葬式の手配をした。

そら豆のお散歩もゴハンもちゃんと済ませた。

急に仕事を休むことも出来なかったので

どんどん冷たく硬くなってゆく豆太郎を

またひとりにして仕事にでかけた。


そんな現実的な作業に追われ

豆太郎を追いかけられないままお葬式の日を迎えた。

仕方ないので私は手元のハサミで

髪をザックリ切って豆太郎に持たせた。

この髪束がどうか私の分身になりますようにと

ありったけの願いを込めて。

そして豆太郎は骨になった。




豆太郎が逝って、だから私も半分逝った。

豆太郎がいた頃と同じように生活はしているけど

どこか現実味がない。物足りない。

でも仕方ない。

私の半分は豆太郎と一緒に逝った。

今の私は半分なのだから。

そう思って嫌でもやってくる毎日を消化した。





0118-2 2016




死にぞこない、といったAちゃんの表現が

あまりにも今の私にぴったりすぎて

ぜんぶ見透かされている気がしたので

少しずつ彼女に豆太郎の最期を話した。


うんうん、と聞いてくれていたAちゃんは

そして最後に優しくいった。

『追いかけて逝っても、会えませんよ』と。

自分がそうだったからよく分かる。

残された人をたくさん苦しめるから寿命で逝った者とは

同じ場所には行けません。

長い時間苦しみ、ようやく回復したAちゃんの言葉は

ずっしりと重かった。



そして彼女はこう締めくくった。



死にぞこないの私でも

人を好きになって結婚することになりました。

今は苦しいだろうけど、いつかきっとまた

笑える日が来るんです。

死にぞこないにもいいコトがあります。




0118-3 2016




その夜、夢を見た。


私は何か重いものを大切に抱きながら

あちこち訪ね歩いていた。

レストランやマンションのお部屋、何かの施設・・・・。

でもどこにも入ることができず

ずっと歩き続けていた。

腕はどんどん重くなる。

でも手放せない。地面にもおけない。

重いなぁと感じながらもただひたすら歩いて

次に訪ねたお店にもまた入れなかった。


『やっぱりワンコが一緒だと無理かなぁ』

そう云った自分の言葉にハッとした。


私は豆太郎を抱いてるんだ。



そう気づいて腕の中を覗き込んだ瞬間

夢から一気に引きもどされた。

けれども腕の中には豆太郎の体の重みが、感触が、

まだリアルに残っていた。



豆太郎が逝ってから

初めて迎えた穏やかな目覚めだった。

夢に出てきてくれたのも初めてだった。

顔こそ見れなかったけれど

久しぶりに豆太郎に逢えたのが嬉しくて嬉しくて

心があったかくて心地良かった。

初めて泣かずに豆太郎におはようと云えた。



Aちゃんのいった通りだった。



死にぞこないの私にも、ほんの少し

いいコトがあるんだなぁと思えた。










にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村





☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆
2016.01.16 骨まで愛しい

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



愛する子を失ってしまった方々は

遺骨をどのようにご供養されているのだろう?


お墓に埋葬されるのだろうか?

霊園に納骨されるのだろうか?

土に還されるのだろうか?

それとも・・・・・・。

ずっと手元においておかれるのだろうか?





パグ犬にしてはずいぶん大柄だった豆太郎は

会う人から 『おっきいねぇ』 と云われ続けてきた。

顔がでっかくて脚もガッシリ太かった。

骨太な体型に加えてお肉もたっぷりついていたから

見た目も体重も中型犬クラスだった。

クッシング症候群になってからは少しずつ小さくなって

晩年は骨ばかりがゴツゴツしていたけれど

お肉がなくなった分、触ると骨太の骨格が際立っていた。





0116-1 2016





豆太郎のお葬式の日、

だから私は25cm四方の大きな缶を用意した。

骨壷に入りきらないかもしれない骨も

ひと片残さず帰宅させてあげたくて

家にあった一番大きな缶を持参した。



けれど、火葬炉から出てきたのは

ほんの少しのお骨だけだった。

台車の上にパラパラと散らばる白い骨は

どれも、か細くて散り散りで

ケンタッキーのチキンのほうが

よっぽど骨が多いと思った。



病気の子、とくに内臓の病気だった子は

お骨が少なくなってしまうんですよ。

これだけですか?と尋ねた私に葬儀社の方が

申し訳なさそうに答えてくれた。

ただ、頭蓋骨だけは綺麗に残った。

豆太郎の特徴だったポッコリおでこは

骨になっても丸くて可愛くて・・・・・・

生前の姿を想わせてくれる唯一の手掛かりだった。





0116-2 2016






私は死後の肉体には執着がないと思ってきた。

お骨とかお墓の重要性もイマイチよく分からなくて

自分が死んだら亡骸はさっさと捨ててくれればいいし

骨もお墓も残す必要はないと思っていた。




けれども豆太郎が逝ってしまって

自分が虚勢をはっていたことを知った。



何度も抱きしめて顔をうずめた

愛しい豆太郎の体がなくなってしまうと途端に

淋しくて悲しくて苦しくて・・・・・・

骨壷を、撫でで抱きしめ泣きながら

もう1度でいいから会いたいと

お願いするようになった。


たとえ骨になっても骨壷の中から

可愛い頭がこちらを見ていると考えると

たまらない気持ちになって

豆太郎の肉体の名残が入った骨壷に執着し

数少ない骨の欠片たちを

何よりも愛しいと思うようになった。





0116-3 2016





肉体は有限だけど

魂は無限なのだろう。

だから豆太郎は病気で弱り果てた肉体を捨てて

自由な魂だけになって光の世界へ旅立ったのだろう。



でも魂は見えない。ちっとも触れない。



だから私は遺骨にすがってしまう。

ずっとずっと手元においておきたいと思う。

そしていつか私が死んだら

どうか豆太郎の遺骨と一緒に

埋葬して欲しいと願うようになった。




けれども少し迷いもある。

私のやり方は果たして供養なのだろうか?と。

私はまた間違ってしまうんじゃないかと不安になる。


愛する子を失ってしまった方々は

遺骨をどのようにご供養されているのだろう?

最近、気になって仕方ない。









にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村





☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆
2016.01.13 朝の習慣

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



豆太郎が逝ってしまってから

私の1日は少しの期待と

たくさんの絶望で始まるようになった。



朝、目が覚めるとすぐ

布団のなかで腕を伸ばして

豆太郎がいつも寝ていた

自分の右側を確かめる。

今朝こそは、

豆太郎が戻って来てるかもしれないという

わずかな期待を込めて。



そして、

伸ばした腕が空振りすると仕方なく

ベッドから重たい体を起こす。

そうすると豆太郎の祭壇が目に入って

小さな骨壷が今朝もそこで

ちんまりと座っているから

豆太郎が逝ってしまった証拠を

ぐいぐいと突きつけられて

今日1日分の絶望を受け取る。





0113-1 2016



『おはよ、豆太郎』



硬い骨壷をなでなでして

朝のあいさつをする。

豆太郎がいないという現実は

毎朝毎朝、新鮮に悲しくて苦しくて

涙がでてくる。

今日1日泣かないように

今日1日踏ん張れるように

朝のこの時間にめいっぱい泣いておくのが

豆太郎を失ってからの習慣になった。





豆太郎は寝坊助だった。

起こしてもなかなか起きてくれなかった。

わざと寝たふりをしていることもあった。

それでも私がしつこく起こすと

仕方ないなぁって感じでブフフーと

寝息とため息を混ぜながら

おっきな目をパチリと開いてくれた。

こんな風に・・・・・・。









私はまだ期待している。

朝目覚めたら布団の中に豆太郎がいて

またあんな風に目を開いてくれる日を。



懺悔して後悔して絶望から始まる毎日だけど

まだ少しだけ残っている期待が

明日も私を生かしてくれるから。










にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村




☆ よろしければ続きもどうぞ♪ ☆
2016.01.11 懺悔

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



今日は豆太郎の2回目の月命日。



あの日からのふた月。

早かったような、長かったような・・・・・・・。

いずれにしても

もう手の届かない時間。

どんなに懇願してみても

戻れないことだけは確かだ。




2015年11月11日(水)

あの日の朝のことを私は忘れない。




0111-1 2016




あの朝私はいつも通り5時すぎにベッドを抜け出した。


豆太郎とそら豆の眠りを妨げないよう

そろりそろりとベッドを下りた。

いつものように自分の身支度を先に済ませ

ワンコたちを起こしに戻ったのは

ようやく空が明るくなりはじめた6時すぎだったろうか。

『お・は・よー』と、声をかけながら布団をめくったら、




そこには・・・・・・・・・。





まるで昔飼っていた金魚のように

お尻からウンチを伸ばした不格好な姿で横たわる

豆太郎がいた。



何かがおかしいと感じて

焦って豆太郎に飛びついた。



そして・・・・・・・・・。




抱き上げたのは

力の抜けたぐったりと重たい豆太郎だった。




呼びかけて、揺さぶって、

呼びかけて、揺さぶって、

呼びかけて、揺さぶって、

呼びかけて、揺さぶって・・・・・・。




それでも豆太郎は目を覚まさない。




名前を叫んで、揺さぶって、

また呼びかけて、揺さぶって、

口から息を吹き込んでみた。

心臓のあたりもトントンしてみた。

何度も何度もしてみた。




それでも豆太郎は動かない。

体は燃えるように熱かったのに。





0111-2 2016





どれくらいそうしていただろうか。




『もう、静かに寝かせてあげよう』

いつの間にか側にいた母が私を諭すようにいった。

そして、豆太郎の顔を覗き込んでこういった。




『豆ちゃん、苦しそうな顔・・・・・・。』




その時になってようやく

私は豆太郎の顔をじっくり見た。



眉間にシワを寄せたまま

グッと歯を食いしばり

歯の隙間から漏れた舌まで噛みしめている。



豆太郎は今まで見せたことのない

本当に本当に苦しそうな

苦痛の表情をしていた。





私はなぜ気づかなかったのだろう?





同じベッドの傍らで。

豆太郎が歯を食いしばって

苦しんでいたというのに。

私はなぜ気づきもせず平気で眠っていたのだろう。



なぜ起きた時に豆太郎の様子を確認しなかったのだろう?

あの時気づいていればもしかして

豆太郎はまだ戻って来れたかもしれないのに。




きっと私を呼んでいたはずだ。

かあちゃん助けてよって。

豆太郎は筋金入りのマザコンだもの。

私を呼ばないはずがない。



豆太郎の体に何が起きたのかは分からない。

けれど

たとえ死は避けられなかったとしても

せめて・・・・・・。

抱きしめて名前を呼び、お尻をポンポンしながら

見送ってあげられたなら

豆太郎は安らかな顔をして

死を迎え入れられただろうに。




私はなぜ気づけなかったのだろう?






豆太郎、ごめんね。


苦しかったのに

頑張っていたのに

気づいてあげられなくて。

ひとりぼっちにしてしまって。




豆太郎、ごめんね。


ウンチをつけた金魚みたいな姿をさせて

ひとり逝かせてしまったのは

私のせいだ。




豆太郎、ごめんね。


大切に大切にしてきた豆太郎の

最期の旅立ちを台無しにしてしまった

自分の愚かさが許せない。




豆太郎、ごめんね、ごめんね。




0111-3 2016




2015年11月11日(水)

豆太郎の時計が

14歳と28日目で止まってしまったあの日から

私の時間も動かない。




私はなぜ気づけなかったのだろう?




あの朝を

何度も何度もリバースしながら

懺悔し続けている。










にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村






このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



晩年の豆太郎の記録を残しておきたくて

豆太郎の四十九日からブログを再開してみた。



エントリーが欠けている無言の期間に

豆太郎はクッシング症候群を発症し

はじめは静かに

そして最後は急速に衰えていった。




0109-1 2016




おじいちゃんになっても病気になっても

ずっとずっと私の宝物だった豆太郎・・・・・・。




大切な豆太郎の最終章を

いつか霞んでしまうかもしれない

私の記憶だけに留めておくのではなく

ちゃんと文字に起こして残しておきたかった。




同時に、クッシング症候群と診断されるまで

ずいぶんと時間がかかってしまった豆太郎の

病気の兆候や症状も

ブログにあげておけばもしかして

誰かのお役に立てるかもしれないと思った。


豆太郎は全体の10~15%しかない

副腎腫瘍性(AT)のクッシング症候群だったから。





0109-2 2016




けれども、それらを書き残すより先に

豆太郎が逝ってしまった朝のことを

私はちゃんと書いておかなければならない。



大切な宝物だといっておきながら

最後の最後に・・・・・・

豆太郎をひとりぼっちにさせてしまった私の愚かさを

正直に告白しなければフェアじゃない。





0109-3 2016




旅立ちの前日のことは書いた。

いつも通りの1日を終えて

私の隣でひとつ布団の中で

逝ってしまった豆太郎。



『傍にいれてよかったね』

何人かの優しい友人が声をかけてくれた。



そう・・・・・・。

確かに私は豆太郎の傍にいた。

同じ布団で眠っていた。





なのに、あの朝。




私は豆太郎の死にまったく気づいていなかった。









にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村




2016.01.07 不在

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



豆太郎が私にくれたもの。



14年もの楽しい時間。

言葉はなくとも通じ合う心。

無条件に愛する気持ち。

愛する者を守る決意。




0107-1 2016




毎日の散歩で出会う季節ごとの風景。

規則正しい生活。

海を越えて出会えた、たくさんの犬友達。

そして

命の奇跡とその重み・・・・・・・。



数えはじめたらキリがないほど

豆太郎からは本当に本当に

たくさんの素晴らしいものをもらった。




なかでも最高のプレゼントは




0107-2 2016



そら豆。

豆太郎のひとり息子だった。




親子だけれど歳は2つしか差のないふたりは

若犬のころこそガウガウやり合うこともあったけれど

大人になってからは

いつもふたりペッタリくっついていた。




0107-3 2016





豆太郎のお葬式の日、

そら豆は火葬場へ向かう車の中で

ガタガタ震えていた。



車に乗るのが大好きな子が

体を固くして怯えていた。

うちに帰ってきてから少し吐いて

その次の日もまた吐いた。



けれどもそれ以降はいつものそら豆に戻り

元気に食べてよく眠った。

生まれて初めてひとりっ子になって

日増しに我がままが多くなった。



そして・・・・・・。



我がままが増えた分だけ

淋しがり屋にもなった。

いつも誰かの側にいたがり

ひとりにされるとヒュンヒュン鳴いてしまう。




0107-4 2016




カートに乗るといまだに

豆太郎のスペースを空けているそら豆。



時々、ふいに顔をあげて

鼻をピクピクさせながら何かを探している。



散歩の途中、思い出したように後ろを振り返り立ち止まる。

まるで・・・・・・・、

ゆっくりしか歩けない豆太郎が追いつくのを

待っていた日のように。





0107-5 2016




もうすぐ。

2回目の月命日が来るというのに・・・・・・・・。


そら豆も私も

まだ豆太郎の不在に慣れることができないでいる。








にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村





2016.01.05 旅立ちの前日

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



豆太郎はなぜ逝ってしまったのだろう?

あの日からずっと考えている。





クッシング症候群の持病はあったけれど

病状は安定していた。


脚が弱くなってゆっくりしか歩けなくなっていたけれど

それでも毎日朝晩お散歩に出かけていた。


歯が少なくなって食べにくそうではあったけれど

ゴハンは1度も残さず平らげた。





0105-1 2016




2015年11月10日(火)旅立ちの前日。

この日は朝からご機嫌だった。




いつもは私が起こすまでベッドにいる豆太郎が

寝室の真ん中で仁王立ちしていた。


身支度を済ませて部屋に戻った私は

珍しく自分から起きてきた豆太郎が嬉しくて

おはようをいってギュッと抱きしめたら

丸いシッポをピコピコふって応えてくれた。



それからふたりで散歩に出た。

豆太郎のペースに合わせてゆっくりゆっくり歩いた。

いつもなら最初の交差点でクルリと反転して

もう帰るという豆太郎が

この日はもひとつ先の曲がり角まで進んでいった。





0105-2 2016





夕方、仕事から帰宅する私を

掃き出し窓の向こう側からガン見していた。



夕方の散歩はそら豆も一緒に、ひとりと2頭で歩いた。

最後の散歩になるとも知らずに・・・・・・。



晩ゴハンは牛スジと納豆と野菜スープ。



夜はベッドの上でテレビを観ていた。

けれどスグに豆太郎は寝息を立てた。



就寝前のトイレは11時すぎ。

もう前みたいに脚をあげなくなっていたけど

ヘコッと女の子みたいに腰を下げる姿も可愛かった。



たしか12時ごろにベッドに入った。

豆太郎をダッコしてベッドにもぐり、私の右側に寝かせた。

いつも通りおやすみをいって眠りについた。





そして・・・・・・。




翌朝、豆太郎はもう目を覚まさなかった。






0105-3 2016




いつもと変わらない1日だった。

前の日もその前の日も、

同じように過ごしたはずだ。



それなのになぜ次の日は

目覚めなかったのだろう?



私は何かを間違えてしまったのだろうか?

豆太郎が出していたサインを見逃していたのだろうか?






あの日からずっとずっと考えているけれど

まだ答えがみつからない・・・・・・。






にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村





2016.01.03 残像

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



元旦の明け方、不思議なことがあったらしい。

らしい、というのは

それを体験したのは私ではなく父だったから。




うちは古い家屋なので昔ながらの廊下がある。

台所からまっすぐ伸びて

両サイドにトイレや風呂場や両親の寝室を挟んで

廊下の突き当たりに私の部屋がある間取り。



新しい年が明けたばかりの早朝

時間は午前4時ごろだったそう。

布団のなかでウトウトしていた父は

賑やかな物音で目を覚ましたという。



板張りの廊下をカチカチと鳴らす爪音。

それを追いかけるようなスリッパの音。

甲高い声がキャッキャと響いていたそうだ。




『こんな朝っぱらから何を騒いでいるのだろう?』




父は、そら豆と私が起きだして

廊下にやってきたと思ったそうだ。

そら豆が部屋を抜けだし

それを追いかけてきた私が騒いで

廊下でドタバタやっていると思ったらしい。




0103-3 2016




『今朝は早くから何してたの?』



日も登りきったころにようやく起きてきた私は

寝起き早々にそう問われて???だった。

だって今の今まで私とそら豆は

ベッドの中で爆睡していたのだから。



けれど・・・・・・。




父の話をひと通り聞いたら

ああ、そうか、と。

なぜだかストンと腑に落ちて妙に納得してしまった。




『ああ・・・・・・。それはきっと残像だ。』




新年でリセットされたばかりのカレンダーが

ちょっとだけ誤作動を起こして

過去の時間を廊下に紛れさせてしまったのだろう。




0103-2 2016





まだ豆太郎が元気だったころ

豆太郎とそら豆の2頭は

我先にと廊下を走って私の部屋と台所を行き来していた。

とくにゴハンの時間はお祭り騒ぎで

2頭がウニャウニャと奇声を上げながら

ダッシュしたり私の足元に絡んだりするものだから

私は危ないとか待てとかキーキー叫びながら

彼らと一緒にドタバタ廊下を渡っていたものだ。




ほんの少し前まで

毎日のように繰り広げられていた光景。

豆太郎を失ってしまった今では

涙が出るほど懐かしい時間だけれど・・・・・。




きっと、明け方に父が耳にした物音は

あの日の私たちだ。

ゴハンに期待を膨らませ爪を鳴らす豆太郎とそら豆、

そして彼らを制する私の声。



あんなに毎朝毎晩お決まりのように騒いでいたんだもの。

私たちの姿が廊下に染みついていても不思議はない。




0103-1 2016




今日も廊下を渡るけれど

競い合う相手がいなくなったそら豆は

ひとりでトコトコと部屋を目指す。


そして私は見えない豆太郎に呼びかける。




『豆太郎、ゴハン、ゴハン・・・・・。』






にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村



2016.01.01 つづく

このブログは、 南国バリ島に生まれ育った野生児パグ 豆太郎 と そら豆 が
ニッポンへ上陸しちゃった、トホホな 帰国犬日記 として 再スタートしました m(-_-)m





                         ☆ ☆ ☆



約3年も放置していたこのブログ。



ちょうど新しい仕事を始めた時期で

そのうちにそのうちにと思っている間に

時間はどんどん過ぎてしまい・・・・・・。



自分の忙しさにかまけている間に

大切な豆太郎を失ってしまった。



16-0101-3.jpg



書き残しておきたかった何気ない毎日。

豆太郎との日常を

クスリと笑える日々のイチ場面を

病気と闘った豆太郎の姿を



リアルタイムで記録できる大切な機会を

永遠に逃してしまった。



16-0101-2.jpg




このブログをスタートした時

できるだけ楽しい内容にしたいと考えた。

だから過去の記事には

豆太郎とそら豆の楽しい日々が詰まっている。


今はまだ、読み返せないけれど・・・・・・。




元気だった頃の豆太郎の姿が

いっぱいいっぱい詰まったこのブログに

この3年間

そのうちにそのうちにと思っていたことを

これからは少しずつ書いていこう。



16-0101-1.jpg



豆太郎が最期まで頑張った姿や

私の犯した失態を


せんぶせんぶ正直に書いたら・・・・・・。



豆太郎が元気だった頃の記事を

楽しかった思い出のページを


いつか・・・・・・。


読み返せるようになるかもしれないから。





にほんブログ村 犬ブログ 犬 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村